たつき諒さんをご存知でしょうか?
マンガ家として生計を立てていらっしゃいましたが、同時に予知夢を見ることも少なくないようで東日本大震災を予言していたとして一時名前があがりました。
現在はマンガ家としての筆をおろしたそうですが、2025年7月という予知夢(予言)で今また脚光を浴びているようです。
一体どのような方なのでしょうか?調べていきましょう。
※ネタバレあり、ご注意ください
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たつき諒さんの現在は?プロフィール
竜樹 諒
たつき 諒
誕生日 1954年12月2日
出身 神奈川県横須賀市
職業 マンガ家
活動期間 1975年 – 1999年、2021年
ジャンル 少女漫画
代表作 『私が見た未来』
『私が見た未来 完全版』Wikipediaより抜粋
高校生の17歳のときに交通事故に遭ったことがきっかけで、高校卒業後の仕事に「家でできて、生きた証を残せ、顔を出さずにすむ仕事」を探していたところ、兄の本棚にあった石ノ森章太郎のマンガ家入門を手にとり「これだ!」とひらめきマンガ家を目指した。
それから出版社への作品持ち込みや他のマンガ家のアシスタントとして描き続けていた。
努力の甲斐あって白泉社の『花とゆめ』で受賞が決まったが、同時に秋田書店の編集者からスカウトされ1975年、『月刊プリンセス』(秋田書店)7月号に掲載された読み切り『郷ひろみ物語』で漫画家としてデビューする。その後『人形物語』などの作品多数発表している。
漫画家デビュー後1978年あたりから、睡眠中の夢の内容を記録し始める。その後1985年から一冊のノートに『夢の記録』と題した夢日記を絵と文章で記述してきた。
1982年には、公式ファンクラブが発足し、クラブ会報誌『クラッシュ』を創刊する。
1990年頃から「たつき諒」名義を多用する。
1998年9月、作品『白い手』の発表を最後に「充電期間」を名目に休業し、1999年に漫画家を引退した。漫画を描かなくなったというより作業している際の体力の限界を感じ描けなくなったというのが正しいと著書「私が見た未来 完全版」で告白している。
予知夢っていうんですかね?この手の能力が高い人はまれにいますよね。
たつき諒さんの前世はサイババの娘?
1998年にインドに訪れたたつき諒さんは世界中に多くの信者を持つインドの聖者サティア・サイ・ババ(以下サイババとする)と出会います。
ダルジャンというサイババのもとに人々が集まる場に行った時のこと、初めてあったサイババから「私はあなたを知っている」と言われたようです。
また、頭に「生まれた時からずっとあなたを見ていたから知っている」というインスピレーションが生まれて前世で父娘であったことを知ったようです。
また、インドに行く約3年前と2年前にサイババとあっている夢を見ているようでその中でサイババはたつき諒さんに「久しぶり!」と語りかけていたとのこと。
始めてあったのに「久しぶり!」とはどういうことじゃ?と夢日記に残されているようです。
真偽がどうというより、いくつかの奇跡から前世は本当に父娘ということなんでしょうね。
たつき諒さんのいう予知夢はそもそもそのままを見るの?
予知夢には2つのパターンがあるようです。
ひとつはそのままの未来を見るパターン
もうひとつは象徴的予知夢という別の共通するものをメッセージとしてみるもの
所長的予知夢とはどのようなものなのでしょうか?
白い服を着てニコニコ微笑んでいる家族やよく知っている親せきの方が夢に出てきたとします。しかしこちらから話しかけても応答はしてくれない。という夢があったとすると。。。
白い服は死を、笑顔は別れの悲しみを、応答しないのは死の予兆。
という風に置き換えられるようです。
確かに昭和の「あなたの知らない世界」とかの再現映像にもありそうですね。
たつき諒さんの(予知夢からの)予言ってどのようなものがある?
【見られた夢】
1976年11月 QUEENクイーンのボーカルであるフィレディ・マーキュリーさんが流行り病で亡くなったというニュースをテレビで見る夢。
1986年11月28日 同じくQUEENがテレビに出ているのですが、メンバーにフレディが含まれていないという夢。
【現実に起きたこと】
1991年11月28日 フレディ・マーキュリーさんエイズによる気管支肺炎のため亡くなる(現実)
【見られた夢】
1992年8月31日 ダイアナと呼ぶ女性の声とDIANNAというスペル、赤ちゃんを抱いたダイアナさんの写真の夢。
【現実に起きたこと】
1997年8月31日 イギリスのダイアナ・フランセス(以下ダイアナ妃)がヨーロッパではパパラッチと呼ばれるマスコミの追跡から逃れようとして悲惨な事故にあい亡くなる(現実)
少し未来の日付一致などは興味深いけど、はっきりとその場面が見えているというものでもないようね。。。
たつき諒さん本の表紙の2011年3月の意味は?
たつき諒さんの見解ですが、1999年に「私が見た未来」の原稿の〆切の日にマンガにする要素はないものの「大災害は2011年3月」というビジョンだけは見えていたようです。
そこにはやはり大津波の映像があるようなのですが、夢の中では半袖を着ているということや津波の大きさがより巨大のものであったことから今は3.11のことを予知夢として見たかどうかがぼんやりしてきているということのようです。
ただ、3.11のことだったとしたら起こることや行動についての啓蒙がやりきれなかったと考えているようです。
たつき諒さんが語る2025年7月に起こることとは?
一方、2025年7月についてはよりはっきりしたものを夢で見ているようです。
地図上でいうと北マリアナ諸島(東)、台湾(西)、モロタイ島(南、インドネシア)、日本(北)の中心あたりにあるフィリピン海で地震もしくは海底大噴火が発生して周辺各国へ大津波をもららすというもの。
先の3.11の3倍くらいの津波の様子が見えていたようです。
これが本当なら各国はかなりの被害が予想されますね。
対策を立てることが重要と啓もうしております。
まずは発生時に避難するルートを確認しておくなどですね。
また、準備すること。災難の後の生き方を考えて、今から準備・行動しておくことの重要さを強調されています。
2022年のトンガ沖の大噴火との関係は?
2022年1月15日にトンガのフンガ・トンガ フンガ・ハアパイ火山が激しく噴火し、衛星画像でもものすごい爆発雲が観測され、火山灰、蒸気、ガスが幅5kmにも及ぶ噴煙となり、火山の上空およそ20kmにまで達していることが確認されています。
この噴火によってトンガの首都ヌクアロファの沿岸地域は津波が発生し、フィジー、サモア、バヌアツ、オーストラリア、ニュージーランドにも津波警報が出されたほか距離がかなりある日本でも津波が観測されました。
ただ、こちらの地点は同じ太平洋上ではありますが場所がかなり異なっておりたつき諒さんの予知夢とは直接関係ないものと思われます。
ただ、地球全体のマグマ活動やプレートのズレの周期など全くの無関係ではなくつながっているかもしれませんね。
たつき諒さんが語る2025年以降日本の未来とは?
大災難はとても大変でつらいものにはなると考えられますが、たつき諒さんには災難後の世界はものすごく輝かしい未来に見えているようです。
具体的なイメージは見えていないようですが、地球全体で皆が協力し合ってすべての人々の状態が明るく輝き、活き活きと暮らしているようです。
希望をもって世界中の人が生きているということですね。
たつき諒さんの話題の「私が見た未来 完全版」は手に入る?
この記事では「私が見た未来 完全版」のほんのエッセンスと筆者の解釈になりますので、ぜひ実際に本を手に取ってみることをお勧めします。
たつき諒さんの予言と2022年のトンガ沖の大噴火との関係は?まとめ
いかがでしたでしょうか。
信じるか信じないかはあなた次第。いわゆる「しんあな」という話ではありますが、今すぐできる心構え、もしもの時にどのように行動するか?は考えておくことが助かるか助からないかの分かれ目になるような気がします。
たつき諒さんの見た通りに2025年7月に大災害が起きたとしても、何としても生き抜いて明るい未来を構築していきましょう。
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